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教会スタッフ

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代務牧師(在職 : 2022.4 -  ) - 柿島 文人

2022年4月、日本同盟基督教団より代務教師として任命。同教団所属・恋が窪キリスト教会の主任牧師。

協力牧師 (第3代牧師・主任牧師 在職 : 1999 -2022 ) - 井上 義

熊本県出身。広島大学、東京基督神学校、Westminster Choir College[Princeton,NJ]卒。当地の日本語教会で牧会スタッフ兼音楽主事として5年間奉職。1997年の帰国と同時に日本同盟基督教団に所属し、愛知県の碧南聖書教会(1997-1999)を経て1999年4月より等々力教会に着任。23年間にわたる牧会奉仕の後、2022年3月末に主任牧師を退任し、協力教師となる。(幼稚園の理事長職は継続)

伝道師 (在職:2011 - ) - 高橋みづほ

静岡県出身。静岡県立大学、フィリピン大学大学院、東京基督神学校卒。フィリピン留学中に信仰を持ち、当地にて受洗。卒業後は、日本人とフィリピン人の混血児を支援するNGO(マニラ)に勤務。その後ベースを日本に移し、フィリピンと日本を行き来しつつ、日系フィリピン人のLegal SupportのNGO活動に従事。2008年より東京基督神学校にて神学を学び、2011年3月11日に卒業、結婚。同4月より、等々力教会に伝道師・幼稚園スタッフとして赴任。聖書を片手に英語とタガログ語を自由に操る、行動派、国際派、人権派(でもちょっと天然)スーパーレディ。子育て奮闘中の一児のママ。

教育主事(在職 : 1999 - ) - 井上 直子

広島市出身。広島大学教育学部音楽科卒業後、広島市にて公立中学の音楽教師を務めつつ、地域の児童合唱団の指導にあたる。結婚を機に、神学校にて神学基礎科目を、また夫の留学先にてオルガン、声楽、等を聴講。また当地でのダルクローズ・メソッド(リトミック)の実践に触れ、幼児音楽教育への興味が深まる。教会オルガニスト、子ども聖歌隊指揮者、リトミック教室・ピアノ個人レッスン等の体験を重ね、現在等々力教会・善隣幼稚園にて、子ども聖歌隊指揮者、付属幼稚園リトミック指導、等にあたる。ライフワークは、「子ども」「教育」「音楽」。

「等々力教会の母」と呼ばれても違和感がだいぶ少なくなってきた今日この頃。成人した男児の母。趣味は、創作系(食べ物、飾り物)全般。実は高校時代にはチアガールを、大学では新体操をかじったという意外な過去の持ち主(ひ・み・つ)。付属善隣幼稚園園長、教会学校校長。

初代牧師 (主任牧師在職 : 1947-1956) - 鋤柄熊太郎(すきがら くまたろう)

1889年、愛知県出身。15才の時、中学入学のため上京。軍人を目指すが、やがて無教会の内村鑑三、ホーリネスの笹尾鉄三郎らの薫陶を受け、受洗。札幌農学校を経て、22才で伝道者の志を頂き、バックストンの流れを汲む神戸の日本伝道隊の神学校を卒業。

1922年、独立伝道者として、東京の早稲田での伝道を開始するも、翌23年、関東大震災を体験する。1926年、伝道の居を北区王子に定め、独立十条教会を設立。太平洋戦争で教会が閉鎖に追い込まれる1942年まで、当地で伝道を続ける。英語通訳・教師として多くの宣教師と交流を持ち、戦後、TEAMの宣教師テモテ・ピーチ師の呼びかけに応じ、等々力での伝道に携わる。1947年5月、日本同盟基督教団に入団、等々力教会の主管者となる。その後1956年までの9年間、等々力教会の伝道牧会、善隣幼稚園の創設、そして同盟教団の形成と発展とに尽力する。1956年8月、肝臓ガンのため68才の生涯を終え、帰天。

第二代牧師 (主任牧師在職 : 1956-2001) - 鋤柄和秋(すきがら かずあき)

1927年、東京都出身。慶応大学、同盟聖書学院、Universitat Freiburg卒。カトリック神学(哲学)修士。大学では中世哲学を学び、同盟聖書学院では第一期生となる。神学校卒業後、しばらく渋谷で開拓伝道に携わり、その後フライブルグ大のカトリック神学部にて神学・哲学の研鑽を深める。帰国後、等々力教会に赴任。以後、父君鋤柄熊太郎牧師の後任として、2000年3月まで40年以上の間、等々力教会の主任牧師を勤める。母・鋤柄久子の後任として、1964-2003の間、付属善隣幼稚園園長を努める。2003年9月、皮膚筋炎及び狭心症手術後の炎症・化膿が元で敗血症となり、75才の生涯を終え、帰天。

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