top of page
信仰者の証
「長い求道の果てに」
Jさん(仮名)
「暗いと不平を言うよりも、進んで、明かりをつけましょう」こんなフレーズのテレビ番組が、
私の子どものころにありました。
今も、やっているのでしょうか。私がキリスト教と接したのは、そんな、幼い頃でした。
その頃のキリスト教のイメージは、なんとなくすごく清い人たち、といった印象でした。
その後、中学三年生の終わり頃、友人のすすめで三浦綾子の「塩狩峠」を読み、
私のキリスト教に対する清いイメージはよりはっきりとしたものとなりました。
高校時代には新約聖書を読み、衝撃を受け、同時に終末の怖いイメージも持ちました。
転機が訪れたのは大学三年生の冬です。
クリスチャンの友人に道案内を頼まれ、等々力にある等々力教会に行ったのでした。
その後、時々、気が向いた時に教会の説教の時間のころを見計らって伺う、
奇妙な異教徒の私がいたのでした。
そうして接しているうちに、クリスチャンとは決して清い人たちのみの集まりという訳では無く、
また様々な個性を尊重されていることがわかりました。
ですが、なかなか洗礼には至らず、気楽な放蕩息子の日々が続きました。
教会の皆様には異質な自分がひょっこり現れて、その度にご迷惑でなかったかと、
今にして冷や汗の思いであります。
月日は矢のように過ぎ、ある日、牧師から勧めがあり、洗礼を受ける事となりました。
決して高尚な理由からでなく、ただただ救われたいの一心でした。
以来、神様の不思議な計画に感謝しつつ、試みに会わないですむ日常を切に願って
日々を過ごしております。
†
bottom of page